保育園の歴史とは?日本の保育がたどった道と現代の姿

現代では当たり前のように存在する「保育園」ですが、その歴史は長く、社会の変化とともに姿を変えてきました。
本記事では、明治期の託児所誕生から現代の保育制度までの流れをたどり、日本の保育がどのように発展してきたのかを詳しく解説します。
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保育園の始まりとその背景

日本で初めての保育施設「託児所」の誕生(明治時代)
日本の保育園の起源は、1890年(明治23年)に新潟で誕生した「静修学校付設託児所」にあります。
創設者は教育者の赤沢鍾美・仲子夫妻。女子生徒が安心して学べるよう、幼児を預かる仕組みを作ったのが始まりでした。
当時の日本は産業化が進み、女性が工場で働く機会も増加。農繁期や都市部では、子どもを預ける場が求められていました。
こうした社会的背景から、地域や工場が自主的に託児所を設ける流れが生まれたのです。
明治後期には東京・麹町の二葉幼稚園(後の二葉保育園)が設立され、貧困家庭の子どもを対象にした福祉的保育が進みました。
これは「教育」ではなく「生活を支えるための保育」という点で、今日の保育園の原型と言えます。
戦後の復興期に広がった「保育の必要性」
第二次世界大戦の終戦後、日本は焼け野原の中で再出発を余儀なくされました。
働き手を失った母親たちは、生活のために外で働く必要があり、子どもを預ける場として保育所の設立が急がれました。
その背景には、戦災孤児や母子家庭の増加、食糧難による子どもの健康不安など、社会全体の危機がありました。
1947年(昭和22年)には、保育所の法的根拠となる「児童福祉法」が制定。ここで初めて「すべての児童は等しく生活を保障されるべき」と明文化され、国として保育を支える姿勢が明確になりました。
女性の社会進出と保育制度の整備
戦後の復興期を経て、高度経済成長期(1950〜1970年代)に入ると、共働き家庭が増加します。
これにより、保育所は「福祉」から「社会インフラ」へと役割を拡大。
1953年には「児童福祉施設最低基準」が制定され、保育士配置・施設面積などの基準が初めて全国で統一されました。
やがて、1965年に厚生省が初の「保育所保育指針」を策定。
それまでの“預かる”中心の保育から、「養護と教育を一体的に行う」方向へと進化しました。
この時代に、保育は家庭の補完ではなく社会全体で子どもを育てる仕組みとして定着していきます。
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戦後から現代までの保育制度の変遷

1950〜1960年代:法整備と「児童福祉法」の確立
戦後の混乱期、日本では生活基盤を失った家庭が多く、戦災孤児や母子家庭の増加が社会問題となっていました。
こうした状況の中で、1947年に制定された「児童福祉法」は、保育制度を国の責任で支える基礎を築いた重要な法律です。
この法律により、保育所は「保育に欠ける子ども」を対象とする児童福祉施設として位置づけられ、国と地方自治体が保育を提供する責任を負う体制が整いました。
当時の保育所は、主に母子家庭や低所得世帯の子どもを預かる福祉的支援施設でした。
経済的に厳しい家庭を支える場であり、教育的というよりも生活保護的な性格が強かったのです。
しかし、国の財政が十分でなかったこともあり、保育施設は慢性的に不足。
そのため、地域のボランティアや教会、工場などが自主的に設立した私設託児所や企業内保育所が数多く生まれました。
こうした地域の助け合いを通じて、「子どもを守ることは社会全体の責任である」という価値観が少しずつ広まっていきます。
1950年代後半になると、政府も本格的に保育の整備に取り組み始め、「児童福祉施設最低基準」を制定。
保育士の配置基準や園舎の面積、衛生環境などが全国で統一され、保育の「最低限の質」を保障する仕組みが整いました。
この時期はまさに、日本の保育制度の基盤が築かれた時代といえるでしょう。
1970〜1980年代:待機児童問題と女性の就労拡大
高度経済成長期を迎え、都市部では製造業やサービス業での労働需要が急増しました。
それに伴い、女性の社会進出が進み、共働き家庭が急激に増加します。
しかし、保育所の整備は需要に追いつかず、都市部を中心に「保育所に入りたくても入れない子ども」が続出。
ここで初めて「待機児童問題」という言葉が社会に広く知られるようになりました。
政府は1960年代後半から「保育所整備五カ年計画」を策定し、保育施設の拡充を全国的に推進。
1970年代には公立保育所が急増し、量的な拡大が進みました。
この時代に整備された公立保育所は、地域の中心的存在として長く機能し、「第二世代の保育園」と呼ばれることもあります。
ただし、量的な拡大の裏で、保育の質や職員体制の整備が追いつかなかったという課題も浮き彫りになりました。
保育士の人員不足や、現場の過重労働が社会問題化し始めたのもこの頃です。
また、保育所が「女性が働くための施設」というイメージを持たれ、家庭や地域との連携が十分に取れない面も指摘されていました。
とはいえ、こうした時代を経て、保育が社会のインフラとして根付き、「共働き家庭の支援=社会の責任」という認識が広まったのは大きな成果です。
1990〜2000年代:「少子化」と保育ニーズの多様化
バブル崩壊後の1990年代、日本は少子化と経済停滞という新たな課題に直面しました。
「子どもが減っているのに、保育所の需要は増えている」という一見矛盾した現象の背景には、
女性の就業継続を望む層の増加や、ライフスタイルの多様化がありました。
この時期には、従来の「全日保育」に加えて、
など、柔軟なサービスが拡充。家庭の状況に応じた多様な保育形態が整っていきました。
また、自治体による公立保育所の整備だけでは限界が見え始めたため、
保育運営を民間に委託する「民営化」が進行。
社会福祉法人・学校法人・NPO・株式会社など、さまざまな主体が保育事業に参入しました。
これにより、保育の現場に「特色」や「理念」を打ち出す園が増え、
保護者が選択できる「選ばれる保育園の時代」が到来します。
一方で、民営化による経営の自由度が高まる一方で、
運営格差や保育士の待遇差といった新たな課題も生じました。
行政の役割が「設置者」から「監督者・支援者」へと変化したのもこの時期の特徴です。
2010年代以降:「子ども・子育て支援新制度」と保育の質向上
2010年代に入ると、長年の課題だった待機児童問題が再び顕在化。
特に都市部では、共働き家庭の増加と保育士不足が深刻化しました。
こうした状況を受けて、2015年に施行されたのが「子ども・子育て支援新制度」です。
この制度は、それまでの「保育に欠ける子ども」中心の考え方から脱却し、
すべての家庭を支援対象とする仕組みへと大きく転換しました。
具体的には以下の3つの柱が導入されました:
- 認定こども園制度の本格化(教育・保育の一体化)
- 地域型保育(小規模・家庭的保育など)の制度化
- 保育料の全国的基準化と無償化への布石
これにより、保護者の就労状況にかかわらず、子どもが安定した教育・保育を受けられるようになりました。
また、国と自治体が連携して、保育の「量」と「質」の両立を目指す仕組みが整いました。
さらにこの時期には、
- 保育士の処遇改善加算の導入
- ICT化・業務効率化の推進
- 保育内容の質保証(第三者評価制度など)
といった取り組みが進みました。
これらにより、保育はもはや「働く親のための制度」ではなく、
子どもの成長と家庭支援を担う社会基盤へと進化したのです。
現代の保育制度は、戦後から続く70年以上の努力の積み重ねの上に築かれたものだといえます。
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保育園と幼稚園の違いの歴史的背景

保育所=福祉、幼稚園=教育としての分立
日本の保育制度は、戦後から長らく「二元制度」と呼ばれる仕組みで成り立ってきました。
すなわち、保育所(保育園)は厚生労働省が所管する福祉施設、
幼稚園は文部科学省が所管する教育機関(学校)という、目的の異なる二つの制度が並立していたのです。
この区分の根底には、「誰のための保育か」という考え方の違いがあります。
- 保育所:家庭の事情(就労・病気など)により保育が困難な子どもを「預かる」ことを目的とした福祉的機能。
- 幼稚園:主に家庭で育つ子どもを対象に、年齢に応じた「教育」を提供する学校教育制度の一環。
戦後間もない時期、保育所は児童福祉法の下で「保育に欠ける子どものための施設」と定義されました。
一方、幼稚園は学校教育法によって「義務教育前の教育機関」として設計され、
教育課程(カリキュラム)や教員免許(幼稚園教諭免許状)などの明確な基準が設けられていました。
そのため、保育時間・指導内容・教職員の資格要件などにも違いがあり、
保育園は「生活支援中心」、幼稚園は「教育中心」という分業が進みました。
しかし、どちらも子どもの成長・発達を支えるという点では共通しており、
現場では次第に「教育と保育の境界」が曖昧になっていきます。
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幼保一体化の流れと「認定こども園」の誕生
2000年代に入ると、社会全体で少子化・共働き家庭の増加・多様な働き方が進みました。
それに伴い、「保護者の就労状況に関係なく、すべての子どもが安心して通える園がほしい」という声が高まります。
こうした社会的要請を受けて、幼稚園と保育園の垣根をなくす「幼保一体化」の議論が本格化しました。
2006年には、教育と保育の両方を行うことができる新しい仕組みとして
「認定こども園制度」が創設され、全国でモデル事業がスタートします。
当初は制度の運用が複雑で、幼稚園型・保育所型など複数の形態が併存しましたが、
2015年の「子ども・子育て支援新制度」の施行により、法的にも明確な枠組みとして定着しました。
この制度の最大の特徴は、家庭の状況(働いている・専業主婦など)に関わらず、
すべての子どもが同じ園で教育・保育を受けられることです。
また、自治体が「教育・保育の必要性」を認定する仕組みを設け、
利用者の所得に応じて保育料が決まるなど、公平性の高い制度設計が導入されました。
この「幼保連携型認定こども園」の誕生は、明治期から続いていた
「教育か、福祉か」という二項対立に終止符を打ち、
子どもを“社会全体で育てる”という新たな理念への転換を意味します。
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現代の「教育×保育」統合型の動き
現代の保育・教育現場では、幼稚園・保育園・認定こども園の枠を超えた統合的なアプローチが主流となっています。
特に注目されているのが、次のような「教育的視点を取り入れた保育」の広がりです。
遊びや探究活動を通して、子どもの好奇心・創造性・問題解決力を育てる教育法。
子どもの自発性を尊重し、個々の発達に合わせて環境を整える「子ども中心型保育」。
自然との関わりを通じて、五感や生命観を育む活動。地域とつながる実践も増加中。
こうした取り組みは、単に“教育の充実”を目指すものではなく、
「遊びを通して学ぶ」=非認知能力(思いやり・集中力・共感性)を育てるという
保育本来の価値を再評価する流れでもあります。
さらに、保育士自身も「養護者」から「教育者」へと役割が拡大しています。
発達心理・カリキュラムデザイン・家庭支援の知識を併せ持つ総合的な専門職としての地位が確立しつつあります。
現代の保育園は、単なる預かり施設ではなく、
「教育×福祉×地域」が一体化した総合的な子育て支援拠点へと進化しています。
子どもたちが安心して成長し、家庭・地域・社会がつながる仕組みこそ、
これからの日本の保育の原動力といえるでしょう。
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保育の歴史から見る社会の変化

核家族化と共働き家庭の増加
戦後のベビーブーム期には三世代同居が一般的でしたが、1970年代以降は核家族化が進行。
親のサポートが得にくくなり、共働き家庭が増加しました。
その結果、保育園は家庭の代替ではなく、「地域で子どもを育てる仕組み」として重要性を増していきました。
地域との連携や行事、子育て相談など、保護者支援機能も拡充しています。
子どもの発達観の変化と保育方針の多様化
かつては「集団で同じ行動を取ること」が重視されていましたが、現代では個性や発達の多様性を尊重する保育が主流です。
モンテッソーリ教育やレッジョ・エミリア教育など、世界の先進的な教育理念が日本の保育にも広がっています。
保育士の専門性が求められるようになった背景
保育の社会的価値が高まるにつれ、保育士には心理・発達・教育理論の知識が求められるようになりました。
近年では「国家資格としての専門職」「キャリア形成を伴う職業」として再評価されています。
この変化は、保育が単なる“子守り”ではなく、教育・福祉・家庭支援の複合的専門職であることを示しています。
海外の保育制度との比較
北欧諸国に見る「福祉国家型」保育の考え方
スウェーデンやデンマークでは、保育は「親の権利」ではなく子どもの権利として位置づけられています。
国の財源による無償化が進み、保育士は大学教育を受けた専門職が中心。
保育内容も「遊びながら学ぶ」を重視しており、家庭と社会の連携が徹底しています。
日本との制度的・文化的違い
日本では長年「母親が育てるのが基本」という文化的価値観が根強く、保育園は「働く女性のための施設」として出発しました。
一方、北欧では「誰もが利用する教育機関」として制度が整えられています。
この違いは、保育を社会政策の一環として捉えるか、個人の選択とみなすかという考え方の差に起因します。
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これからの保育園の役割と展望
こども誰でも通園制度の導入
2026年度から本格導入予定の「こども誰でも通園制度」は、就労の有無に関わらず保育園を利用できる新制度です。
これは「保育=働く親のため」から「子どもの育ちを社会で支える」仕組みへの転換を意味します。
保育の普遍化により、すべての家庭が支援対象となる時代が近づいています。
\詳しくは🔻/

地域共生・多様な家族形態への対応
ひとり親家庭、外国ルーツ家庭、障がい児家庭など、多様な背景を持つ家族が増えています。
今後の保育園には、多文化共生・包括支援型の体制が求められるでしょう。
地域に開かれた園づくりが、社会の持続性を支える鍵となります。
AI・ICT活用で変わる保育現場
登園管理や連絡帳のデジタル化、AIによる発達記録のサポートなど、ICT導入が進んでいます。
事務負担の軽減により、保育士が子どもと向き合う時間を増やすことが可能になりつつあります。
テクノロジーと人の温かさを両立させた「スマート保育園」が新たな潮流です。
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まとめ:保育園の歴史を知ることは「これからの保育」を考えること
保育園の歴史は、社会の変化とともに進化してきた福祉と教育の融合の物語です。
明治の託児所から始まり、戦後の復興期を経て、現代の多様な保育制度へと発展してきました。
これまで保育園は「働く親を支える場」から、「子どもと家庭、社会をつなぐ拠点」へと変化しています。
歴史を知ることは、未来の保育をより良くする第一歩。
保育士・保護者・行政が協力し、「すべての子どもが笑顔で育つ社会」を築いていくことが、次の時代の使命です。
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